コンピューティクスによる物質デザイン:複合相関と非平衡ダイナミクス - 文部科学省 科学研究費補助金 新学術領域研究 平成22年度~26年度

ENGLISH

領域概要

学術的背景

物性科学は、過去半世紀以上に亘って革新的デバイスの科学的基盤を提供すると同時に、マクロ量子現象の発現などの基礎科学を一新する概念を生み出してきた。ナノテクノロジーが次世代の社会を牽引すると目されている現在、その物性科学は新たなチャレンジを要求されている。それは量子論に立脚した、新しいものづくりのパラダイムの提示である。様々な物質創成技術、ナノ加工技術により、人類は所望の元素を所望の構造に作りこむ技術を得つつある。問題は、どの元素をどのように並べるかである。量子論の第一原理に立脚した計算科学的アプローチは、その科学的土台の深遠さと付随する定量性の故に、この基本的な問題、物質デザイン、に対する本質的貢献を成し得る。物質デザインにはふたつの重要な側面がある。第一は、作られた物質・構造体がどのような性質を示すか、第二は、そもそもその構造体は作成可能か、である。

「物質・構造体がどのような性質を示すか」は物性科学が従来ターゲットとしてきた問題である。しかし、ナノ世界の到来に伴い前世紀に培われた常識は破綻しつつある。そこでは、元素の特質に加え、ナノスケールの形状が電子状態に大きな影響を与え、バルク物質では封印されていた新機能が出現している。共有結合性、イオン性、電子相関等の競合する因子が、ナノ形状と絡み合い、新たな複合相関現象を生み出している。実際の物質を舞台とするこれら複合因子の相関を、量子論の第一原理に基づき非経験的に解明し、新たな物質設計の強固な方法論的基盤を形成することが不可欠である。

「物質・構造体は作成可能か」は、物質生成・加工のダイナミクスに依存している。アト秒スケールの電子励起がピコ秒スケールの原子移動を引き起こし、新たな物質相が形成されていく。 我々が目にする物質・構造は、そうしたマルチ時間スケールでの複合相関のダイナミクスの結果である。そうした生成過程における非平衡ダイナミクスを明らかにし、物質生成の機構を解明・制御することは、時間軸を制御した新たな物質機能の発現には不可欠の要素である。実験的にも、最近の高速分光実験技術などの進展により、電子励起による新物質相の発見などが相次いでおり、非平衡素過程の解明が益々重要になってきている。高い定量性を有する第一原理量子シミュレーションは、実験的にはアクセスしにくい時間・空間スケールでの物理的素過程の本質を解明し、非平衡ダイナミクス解明に大きな貢献を成し得る。

JPARC、Spring8において、次世代中性子、ミュオン、X線源を用いた高度な回折・分光実験が開始されようとしている現在、量子論の第一原理に立脚した計算科学的アプローチは、これら実験的研究結果の強固な理論的支柱を与えると同時に、それと相補的な知見を得ることができ、物性科学および物質デザインでのブレークスルーを生み出す起爆剤となることが期待される。

計算科学的アプローチは、理論・実験に対する第三のアプローチとして、1980年代より着実な進展を示し、とくに密度汎関数理論を主軸とする第一原理計算の有用性は、理工学の多くの分野で認知されている。しかし、物質デザインに対して真に有用な手法となるためには、すなわち複合相関と非平衡ダイナミクスの解明・予測には、既存の手法の格段の高度化とともに、既存手法の射程を越えた豊かな現象を捉える新手法の開拓が欠かせない。同時に高速スーパーコンピュータの開発も重要な要素であり、これについては我が国では、2012年度には理論最高性能10ペタフロップスの次世代スーパーコンピュータ「京」が神戸において稼動予定である。

しかしながら、この次世代スーパーコンピュータは、計算科学の新たな展開を要求している。 電子デバイス開発におけるスケーリング則の崩壊に伴い、単一演算ノードの性能は飽和に近づいており、今後の高性能スーパーコンピュータは超並列アーキテクチャとならざるを得ない。実際、次世代スパコンにおいては、全体で64万演算コアの超並列アーキテクチャが採用されている。 こうした超並列機においては、これまで開発されてきたプログラム群は殆ど有効に働かず、理論最高性能の数%以下の実効性能しか望めない場合が多い。計算機アーキテクチャを十分に理解した、新しい数値計算アルゴリズムの導入、ノード間、コア間並列プログラムの開発・高度化が必須の要件となり、ここ四半世紀の計算科学で行われてきた、計算科学(computational science)分野と計算機科学(computer science)分野での互いに独立な研究開発は、高性能コンピュータの有効利用という観点からは、殆ど意味を持たない。さらに2018年には現実のものとなると予想されている、次々世代エキサフロップス・スーパーコンピュータにおいては、汎用ノードとともに、GPU(Graphics Processing Unit)などの新たなハードウェアを用いた特殊用途計算エンジンが導入されると予想され、高性能コンピューティング(HPC)は多重階層性を持つことになる。

こうした状況においては、計算科学と計算機科学を統合し、さらには数理科学の知見を縦横に駆使した、新しいアプローチが必要である。我々はこのアプローチをコンピューティクス(Computics)とよぶ。第三のアプローチとして始まった計算科学は、今、次世代スパコン開発という国家的事業に象徴されるHPCの質的変化に伴い、新たなフェーズに突入している。自然の謎を解き明かし、新たな物質科学の地平を切り開くには、コンピューティクスにより実際の物質での現象を解明・予測し、実験的研究と相補的に共同する新たな学術分野の創成が不可欠である。

本研究領域の目的

以上を背景に、本新学術領域研究では以下を目標とする。

  1. 次世代、次々世代HPCにおけるコンピューティクスの確立:次世代超並列アーキテクチャ、次々世代多重階層アーキテクチャ、さらには下方展開として整備されていく各研究機関での計算機アーキテクチャを踏まえ、(2)以下の実際の物性科学の諸問題における新数値解法の導入、最適アルゴリズム探索、プログラム高度化を通じ、コンピューティクスを確立する。
  2. ナノスケール構造体での非平衡ダイナミクスの解明・予測:密度汎関数理論を主軸とした先端的大規模ダイナミクス計算、非調和項を考慮した統計的サンプリング法、非平衡グリーン関数法などの手法を開拓し、並列アーキテクチャ上で高度化することにより、ナノ構造体の生成機構解明、ナノ界面安定性探索、熱伝導・熱膨張・熱破壊機構解明、過渡的デバイス応答機構解明を行い、ナノ構造体作成可能性とその構造体の機能を明らかにする。
  3. 電子強相関系の物性解明と新量子相の予測:密度汎関数理論とそれを超える計算手法、エネルギーの階層性に着目したダウンフォールディング法、グリーン関数法などを並列アーキテクチャ上で高度化し、強相関系物質の複合相関性、非平衡系の強相関性を第一原理から定量的に解明し、新機能を有する物質群の予測を行う。電子の相転移が生み出す超高速現象に着目し、時間分解光電子分光などの実験的研究の理論的基盤を形成する。
  4. 超伝導転移温度の定量的計算と予測:電子・格子相互作用、電子・電子相互作用を統一的に記述する超伝導理論を構築し、次世代スーパーコンピュータ上での、高効率計算コードを開発し、高い超伝導転移温度を示す物質群を、実験研究者との共同により探索する。
  5. 蛋白質における反応機構のミクロな同定と非平衡ダイナミクスの解明:生体を温度、圧力、濃度ゆらぎの下での、非平衡反応系と捉え、量子論に立脚した原子スケールでの反応機構解明を行う。同時に高次の電子相関効果である分散力の第一原理による記述を可能にする計算手法を確立する。
Copyright ©2010 コンピューティクスによる物質デザイン:複合相関と非平衡ダイナミクス